2001/9/10 月曜日

「21世紀型マーケティング」(#006)暗黙知とは?(2)

Filed under: マーケティング, 認知論 — 咲本 @ 14:58:08

『日刊「WEBのツボ」 ~次世代WEBマーケティングを読む~』に掲載
http://www.soho-union.com/

【○】本日のお題 「21世紀型マーケティング」(#006)    ━━
咲本@時計台ネット
▽ 暗黙知とは?(2)

前回のコラムをお読みいただいた方々から、多数のメールをいただきました。
今回はそのメールでのご投稿を元にお話いたします。

投稿A:「暗黙知理論をマーケティングに持ち込まれた試みを見かけません。なぜ、暗黙知理論が大事なのでしょうか?」

確かに唐突に映ったかもしれません。
以前のコラムで私は、まずは古典的マーケティングの考えの象徴たる4Pを批判いたしました。次に、現在最も拠り所としている論者の多いであろうSWOT分析が使えないものだとご説明しました。
このようなものが使えないものであるということは、マーケティングの世界には統合的な理論というものが存在しないというのが現状なのです。

ほんとうに、全てロクなものでないものばかりなのでしょうか?
そうだとは言いません。
各論としては、すばらしいマーケティングの論考は、いくつもあります。
ただし、それらはあくまでも各論の領域に限定した上での話ばかりなのです。
例えば、手巻き腕時計の優秀な職人達が個別に作った歯車等の部品を持ち寄ったとしても、腕時計としての作動原理のわかった人が部品を組み立てないと、腕時計としての機能はいたしません。
その作動原理に該当するものが、4PやSWOT分析のようなものではないとすれば悲しいことに、マーケティング理論の中には、全体を司る腕時計の作動原理のようなものは存在しないということになります。
いくらすばらしいと思われる各論を持ち寄ったとしても、いつまで経っても腕時計の針は動きません。
現在のマーケティングは、そのような状態に陥っているといって良いでしょう。

暗黙知理論的に申しますと、包括的全体が腕時計が正常に動くことだとしますと、各論的に歯車の形の仕上げばかりにこだわっていても、それはいわば、諸細目のひとつなわけで、包括的全体なしに歯車にこだわっていることは、知の働かせ方が間違っています。

暗黙知理論を言い出して、発言に思想・哲学めいたイメージを持たれてしまったかもしれないのですが、マーケティングに致命的に欠けているのが、上記、作動原理にあたるものなのです。暗黙知理論は、新しいマーケティングのパラダイムを形成する可能性のある唯一とも言って良い理論だと考えるに至った上で、取り上げさせていただいている次第です。

何度も申している通り、各論に属する事柄をどうこう問題にすることは、そのことだけしかやらないのなら、マーケティングが趣味娯楽の世界のものに終わってしまことにもなりかねません。私はあくまでも、「統合化」「普遍化」への道があるという前提のもとに、各論や現場の事例に関わる姿勢を持ちたく考えます。
ただし、「統合化」「普遍化」への道は険しく困難な道であるかとは思います。
そうだとはいえ、包括的全体に視線がいかないマーケッターは、基本的に怠惰だと思います。

投稿B:「暗黙知とは?になって今まで以上に抽象的な発言ばかりですね」

前回までのお話では、そのように思われても仕方がないでしょう。
なぜなら、大半のマーケティング理論が、欧米で流行っているとか、主要何社が既に導入している実績があるとかの、相変わらずの欧米のものは無条件ですばらしく、それを知識人達がこれまた無条件で輸入することがその人達の実績となるという構図が連綿と存在するのです。
ひとまずは、このような根拠なき厚い前提の壁を打ち破っておく必要があります。

どういうものがオッケーでどういったものがノーであるのか、その依って立つ理論的なこともご披露しておく必要があると感じ、このようなお話をすることにいたしました。

そのうち、具体的なお話もさせていただきますよ(笑)

投稿C:「暗黙知理論によって今後どのようにマーケティング論を展開されていくのか、たいへん興味があります」

私自身、今後どのように展開していくことになるのか、わかっていません(笑)
書いていきながら、様々なことを考えている最中です。

場合によれば、マーケティングというコトバも一端は廃止して、別のコトバによって展開していった方が良いのではないかとさえ考えています。
マーケットというコトバは市場(シジョウ)ということであり、市場経済を前提にしたコトバです。
しかし世の中は、市場経済的ではない現象で満ち溢れているように見えます。
人々の情念や欲、非合理的行動・・・、続々登場する地域通貨、Linuxの開発・・・

マーケティングというコトバが新たな発想を阻害している可能性だってあり得るという前提で再考する時期に、私達は来ているのだと思います。
ここで、「米国でそんなことを言ったら笑われますよ」との発言は何の説得力もありません。このような方こそ、笑われる対象であるはずです。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

ということで、今回はみなさんからいただきましたご質問を元にお送りいたしました。
次回も「暗黙知とは?」をお話いたします。

【プロフィール】
咲本 勝巳(さきもと かつみ)
1965年京都生まれ。ネットビジネスとマーケティングのコンサル業。
住宅・住設・インテリアメーカーのマーケティング会社勤務を経て独立。
明日11日は、亀岡市地域情報化委員会という場で「地域活性化におけるカード活用の先進事例報告とカード情報活用による店舗のマーケティング戦略」をテーマに講演のようなものを行います。
来年3月に報告書を提出する地域活性化の補助金事業での外部コンサルの一員として加えさせていただいています。
このような事業に加えさせていただくのは初体験。地域活性化における問題点が山積していることにビックリしています。

http://www.sakimoto.biz/
mailto:sakimoto@tokeidai.net
(ご意見・ご感想・ご提案お待ちいたしております)
(2001/09/10)

2001/9/3 月曜日

「21世紀型マーケティング」(#005)暗黙知とは?(1)

Filed under: マーケティング, 認知論 — 咲本 @ 15:08:14

『日刊「WEBのツボ」 ~次世代WEBマーケティングを読む~』に掲載
http://www.soho-union.com/

【○】本日のお題 「21世紀型マーケティング」(#005)    ━━
咲本@時計台ネット
▽ 暗黙知とは?(1)

「我々は、語ることができるより、多くのことを知ることができる」
そうです。コトバによって明確に語ることができる明示知だけが知ではなく、暗黙知(tacit knowing)の次元なるものが存在します。

自転車をうまく操縦することや、かけ合い漫才の独特の「間」などは、明確に語ることが出来ないものです。
もし語れたとしても、自転車を操縦しようという方には、何ら役に立たない複雑な方程式の山となるだけであります。
このように難しい方程式を知らなくても、確かに自転車が操縦出来てしまう知の働きを暗黙知と呼びます。

このようなことを言い出しますと、近代科学に毒された方は、神秘主義的、オカルト的なものと誤解される向きもあります。(註1)
しかし、科学における遺伝子の発見なども、物理的実体が先に発見されたのではなく、暗黙知を使って導き出された概念の方が先に存在したものなのです。まさか科学を信奉する方々なら、メンデルが遺伝子を物理的実体として発見したわけではないことを指して、神秘主義者やオカルト的と呼ぶわけではないでしょうしね。
暗黙知というのは、明示知と対立するものではなく、実は科学理論を樹立するべく判断する場合の、唯一の根拠とさえなるものなのです。
知を働かせることそのものが、暗黙知の働きと言っても良いものなのです。

マーケティングが語られる場合によくある陥穽は、一端、理論的枠組を設定すれば、あとはその枠内を要素分解的にしらみつぶしに調べれば実体を解きうるという誤解です。
暗黙知の観点から言えば、事物・現象に注目する視点や計測方法によって、様々な立ち現れ方をするのであり、様々な記述が可能となります。

ここで人間における感知に関しての暗黙知の働きをごく簡単に説明させていただきます。
例えば目の前にあるノートパソコンを感知するのに際して、過去の記憶や光源による物理的刺激やら諸々の材料を「諸細目」(particulars)と呼びます。それらを統合した結果が「包括的全体」(Comprehensive entity)たるノートパソコンです。この場合上位にあるノートパソコンから下位の諸細目を感知しようとすることを「全体従属的感知」 (subsidiary awareness)と呼び、逆に下位の諸細目に注目して上位の包括的全体たるノートパソコンを感知するのを「焦点的感知」(focal awareness)と呼びます。
ところが包括的全体が「Macのパソコン」ということになれば、諸細目を全体従属的に感知した時には、「独特のデザイン」や「リンゴのマーク」とかが諸細目として現れ、物理的実体としては先程のノートパソコンと同じものであったとしても、諸細目は変わってきます。
また、私達の知の使い方はこのような形で下位の諸細目に注目するところ「から」、上位の包括的全体「へ」、注目を移すという構図があり、これをfrom-to-relation(フロム=トゥ関係、から=へ関係)と呼ばれています。
さらに、人間の認知の仕組みは、暗黙知の「三組元素」(三一構造,the triad)によってなされると言われます。
1.全体従属的感知(=手がかり)
2.包括的全体への焦点的感知(=焦点的目標、マーケティング的解決テーマ等)
3.人格(人)
の3つであり、これら三組元素による意味の階層的に連続していく様は「諸三組元素の三組」(a triad of triads)と言われており、メルロ=ポンティやヴィトゲンシュタインなどの現象学や言語学の大家の限界を超えて、上位・下位という二者の関係における概念論争をはるかに突き抜ける、無限に近い階層の議論が可能です。(註2)

独特の概念が出てきて、ちょっと難しく思われましたでしょうか?
その場合には慣れるために上記を3回ほどお読み下さい(^_^;)

大事なことは、日常的な感知から会社におけるマネジメント、科学的大発見に至るまで、全く同じ暗黙知理論によって説明出来るという点です。
ですからマーケティングを考える場合でも、暗黙知を駆使することになるのは当然のこととして、暗黙知理論そのものにも、のっとっている必要があります。

田坂広志氏は暗黙知の有効な使い方について、わかりやすい絶妙な事例を持って語られています。(註3)
ここで引用させていただきますと、元プロ野球選手の張本勲氏に若手選手が理想のバッティングフォームを教えて貰おうと相談したところ、張本氏は、それを知りたければ一晩中素振りをし続けて、疲れ果てた時に出てくるフォームが、一番無理のない理想的なフォームだと答えたそうです。

つまり、打撃の名手、張本氏のバッティングフォームを要素分解的に分析しても、理想的なバッティングフォームが得られるというものではないのです。
この場合、近代科学至上主義論者達なら、張本氏、可能であれば他の一流選手全てのバッティングフォームを数値化レベルまで落とし込み、それを何らかの分析手法を持って理想のバッティングフォームの結論を出されることでしょう。当然ながら張本さんも苦笑いの結果しか得られません(笑)
それは、理想的なバッティングフォームを包括的全体として、諸細目のひとつたる徹底的な素振り練習に人格的参加(パーソナル・コミットメント)する中から「創発」(emergence)されるものであり、人それぞれ理想的なバッティングフォームの解は全く違うということなのです。(註4)

最近いろんなところで「ネットベンチャー成功のための方法」とかのご質問を受ける機会があります。
しかし、上記のバッティングフォームの例にみられるように、個々のベンチャーによって成功の秘訣に該当する内容が全て違っていて然るべきなのです。
いかに暗黙知を働かせるか、ということが大事なのであって、小手先の手法のようなものを先に求める姿勢は、もうそろそろ止めておいた方が良いのでしょう。

来週も引き続き、暗黙知理論にまつわるお話をすすめさせていただきます。

(註1)特にCRMの日本の大家、太田秀一氏は随所で暗黙知を批判されています。
http://www.cio-cyber.com/
みかんなら「秀」がおいしいわけですが、太田氏がどれだけおいしいのでしょうか?
氏が批判している矛先は、ナレッジマネジメントにおける「暗黙知」のことであって、主に文書化出来ないもののことを指して言われています。
私の言っている暗黙知理論は、そのような言語対非言語という狭い土俵にしてしまうようなものに曲解するつもりではなく、本来的にマイケル・ポランニーの唱えている理論をベースにしています。
ちなみに、氏の言語論は、暗黙知理論による言語論に反します。
http://www.cio-cyber.com/pj/ec2/BACK/n009.html#2
http://www.cio-cyber.com/pj/ec2/BACK/n009.html#3
http://www.cio-cyber.com/pj/ec2/BACK/n009.html#5
言語の上位概念と下位概念の関係は、2つの概念が切り口次第で、ある時には一方の方が上位になったり下位になったりするものなのです。
つまり、上位・下位の問題は氏がおっしゃるように「共出現回数」ということで解決出来るようなものではありません。
残念ながらコンピュータで暗黙知理論を具現化することは、コンピュータ科学者が皆要素還元主義者に思える現在、まだまだ実現しないことなのでしょう。
詳しくは、栗本慎一郎『意味と生命』(青土社)第1章第2節をご参照下さい。
人一倍勉強が好きそうな太田氏には、商売上の儲け額最優先的議論ではなく(ソフトウェアが買ってもらいやすいとかではなく)、純粋に暗黙知理論をご研究なさった上でのお話に期待したいところです。

(註2)暗黙知の理論は、科学哲学者マイケル・ポランニーが唱えたものです。ここではとてもではないですが、詳細にわたって説明する余裕などありません。
また、本文中で使わせていただいた概念も、彼の著書中には、その時々の文脈によって、同じ概念を様々に言い換えています。
いわば、暗黙知理論的な言語表現をしているとでもいうべきでしょうか。
例えば、「諸細目」と「包括的全体」も、場合によって、「第一項」「第二項」と呼ばれたり、「近接項」「遠隔項」などと、違った表現がなされています。
このような言語の使い方を駆使した場合でも、CRMのソフトウェアなら完璧に機能するとでもいうのでしょうか??
暗黙知理論を詳しくお知りになりたい方は、入門書的に優れているものとして、M・ポラニー『暗黙知の次元』(紀伊国屋書店)をご覧いただければ幸いです。
暗黙知の次元

(註3)田坂広志『「暗黙知」の経営』(徳間書店)p.97:この本はとてもおすすめです。
私がここで展開させていただいている議論より、はるかに簡単な議論として読めるのですが、事はそのように単純でないことだけは、含んでいただいた上でお読み下さると良いかと思います。
「暗黙知」の経営―なぜマネジメントが壁を超えられないのか?

(註4)人格的(パーソナル:個人的とも訳される)なことこそが普遍的なものとなることをマイケル・ポランニーは強く主張しています。
また、「創発」(emergence)という概念も、ポランニーの主要な概念のひとつであり、生物の進化に至るまでのことを一貫した理論で論じています。
簡単に言いますと、諸細目から上位の包括的全体を生み出す力のようなものです。
詳しくは、マイケル・ポラニー『個人的知識』(ハーベスト社)という大著が参考になります。

【プロフィール】
咲本 勝巳(さきもと かつみ)
1965年京都生まれ。ネットビジネスとマーケティングのコンサル業。
住宅・住設・インテリアメーカーのマーケティング会社勤務を経て独立。
喉だけに風邪の残骸が残ったようで、やたらと咳き込んでしまう今日この頃です。
9月は2件のセミナー講師、10月にも入っておりますが、どれもお題が違っています。何と効率が悪いことなんでしょう(笑)

http://www.sakimoto.biz/
mailto:sakimoto@tokeidai.net
(ご意見・ご感想・ご提案お待ちいたしております)
(2001/09/03)

Creative Commons Licenseこの作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
Get FirefoxIE等のレンダリングバグには対応していません。W3C標準仕様準拠のブラウザでご覧ください。