23年ぶりの新訳!マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』の書評
『ビジネスにマーケティング☆を走らせよう!』に掲載
http://www.mankai.biz/
「23年ぶりの新訳!マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』の書評」
マーケティング・コンサルタント 咲本 勝巳
みなさん、こんにちは!咲本です。
今回のコラムは、いつものコラムとは趣きを変えまして、23年ぶりに新しい訳者によって訳しおろされましたマイケル・ポランニー『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)の書評を書いてみます。
旧訳書は今までに何度となく読んだことがあり、今回の出版で私としては読み直す良い機会を与えていただきました。
とは申しましても、3章構成のうち最初の1章しか読めてはいない状態なのではありますが。。。(汗)
まあ、細かいことはあまり気にせず書いてみましょう(笑)
▼ 「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」
このフレーズは「暗黙知」を語る際に良く引用される有名な一節です。
これは、例えば私たちはある人の顔を何百万人の中からからでも瞬時に見分けることができるのにもかかわらず、そのモンタージュ写真を作ろうとして、目・鼻・口など個別のパーツを考えても、なかなかピッタリしたものが選べないということなどを事例に説明されます。
じっくりと選んでいけば、いずれはその断片をかなり正確に表現できるのかもしれませんが、そのようなことに時間をかけなくても、本人の顔は瞬時にして認識できるわけです。
つまりは「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」のです。
これが彼のいう「暗黙知」というものです。
▼ 暗黙知の4つの側面
暗黙知には4つの側面があります。
機能的・現象的・意味論的・存在論的という側面のことですが、これらを具体的に説明しはじめますと、それだけで誌面が埋まってしまいそうになりますので、ご興味をお持ちの方は、2001年に書きました私のコラムをご参考にしていただければかと思います。
http://www.carfting.jp/blog/tacit_knowing/
(ただし、4つの側面など説明する以前の段階で終わっています。トホホ。。)
▼ ビジネスに関連する知見
今回の書評では、ビジネスにまつわる参考となりそうな知見をいくつか取り上げておくことにいたしましょう。
過去に旧訳版の書籍を多くの方々に推薦してきましたが、みなさん、読書途上で挫折されてしまう方がほとんどのようで残念極まりない気持ちです。
新訳版では、少し読みやすい日本語となっていますので、この機会に是非お読みいただきたいです。
そういった意味で、本来、哲学書というか認知論の書である本書をビジネスマンが読む理由を少しご披露しようという意図を持っています。
まず、いきなり結論めいたことになるのですが、「個々の諸要素(註1)はより明白なのだから、それらをちゃんと認識すれば、事物全体のほんとうの姿を捉えることができる、と信じ込むのは根本的に間違っている。」ということです。
私が「SWOT分析」や「4P」等々のフレームワークを嫌っていますのは、上述のと
おり、人間の知の仕組と根本的に相容れないからです。
なぜなら、「一般に、明示的統合が暗黙的統合に取って代わることはできない。
自動車の理論を徹底的に学習したからといって、一人の運転手の技能に取って代われるものではないのだ。」
「SWOT分析」や「4P」等々のフレームワークに見受けられる点は、「あけすけな
明瞭性は、複雑な事物の認識を台無しにしかねないのだ。包括的存在を構成する個々の諸要素を事細かに吟味すれば、個々の諸要素の意味は拭い取られ、包括的存在についての概念は破壊されてしまう」ということです。
なぜ包括的存在たる「戦略」なり「方針」が、「諸要素」を明示的なフレームワークによって分析することで「破壊される」のでしょうか?
それは、先ほどの顔の認知についての事例で説明しますと、目・鼻・口などの諸要素「から」顔をいうひとつレベルの上位である暗黙的統合「へ」移行したところで、諸要素たる目・鼻・口の意味が変化するからです。
ですので、いくら目を分析して得られたことがありましても、そういった個々のパーツについての分析結果を明示的に繋ぎ合わせてみたところで、数百万人の顔から、ある顔を瞬時に見分ける人間の認知能力とは、全く別物となるわけです。
もっとはっきりいってしまえば、フレームワークをベースにして考え出された戦略は、まぐれ当たり以上の期待はできないということです。
賢明な方は、そのようなことを重々承知の上で、暗黙的統合を行い、結論を出された上で、説明方法としてフレームワークを使われています。
では、既存の理論を全否定するのかといえば、そうではありません。
彼はこの点を理論の「内面化」(註3)という概念で説明します。
少し長めになりますが、彼の主張を引用してみましょう。
「暗黙知を内在化と同一視すれば、それは暗黙知の概念において重視すべき場所が移動することを意味する。そもそも私たちは、暗黙的認識を、私たちが語れる以上の事柄を知るための方法として、心に描いたのだった。・・・私たちは、諸要素それ自体に注意を向けるわけではないので、それが何であるかを識別することはできなかった。しかし、いまもし諸要素の統合を内面化とみなすなら、それはこれまで以上に積極的な様相を帯びることになる。今や内面化は、ある種の事物を暗黙知における近位項として機能させるための手段になるのだ。その結果、事物をそれ自体として注視する代わりに、私たちは、事物が構成する包括的存在との関係において、事物を感知するのだ。そう考えると、次の点もよく腑に落ちてくる。つまり、事物が統合されて生起する「意味」を私たちが理解するのは、当の事物を見るからではなく、その中に内在化するから、すなわち事物を内面化するからなのだ。」
つまり、ある理論を内面化することは可能です。
理論によって求める「意味」を探ろうとすれば、それは暗黙的統合によるもので
あって、その理論が分析を精緻化することによって「意味」を求めようとする理論であれば、内面化そのものが不可能となります。
使える理論とは、盲人の使う杖のように身体化できる道具のようなものでないといけないということです。
「暗黙知」というコトバは、ナレッジマネジメントの文脈で使われやすいコトバであります。
でも、彼はそんな風潮が起こっていることすらわからない1966年に「掛かり合い(コミットメント)(註2)の行為を形式化しようとすると、内容を台無しにする類の「明示性」を持ち込むことになる。」と、野中郁次郎氏を筆頭とするナレッジマネジメント推進論者に警鐘を鳴らしています。
野中氏は、「暗黙知」というコトバをふんだんに使ってはいても、ポランニーのリーディングをまともにしたことあるのか、以前から不思議で仕方ありません。
▼ 創発
第1章に続いて第2章では、彼の重要概念である「創発」について語られているの
ですが、今の段階では、まだ読めていません。
この話をしはじめますと、非生命から生命の進化、言語論、人間の道徳までを含めた壮大な話になってきますので、余計に今回は差し控えておきましょう。
ではでは、本コラムを通じて、改めてご興味をお持ちくださる方がいらっしゃることを期待いたしております。
【註一覧】
(註1)今回の新訳でparticularsの訳が「諸細目」から「諸要素」に変更されています。
(註2)commitmentの訳は「傾倒」から「掛かり合い」に変更されました。
(註3)interiorizationの訳は「潜入」から「内面化」に変更されました。
『暗黙知の次元』ちくま学芸文庫版
『暗黙知の次元』紀伊国屋書店版
■プロフィール
咲本 勝巳(さきもと かつみ)
eビジネス、組織論、経営戦略、創業、ベンチャー、現代思想にとても高い関心を持つマーケティングのコンサル屋。
大阪市立大学・大学院創造都市研究科アントレプレナーシップ研究分野「創業アドヴァイザー」
関西ベンチャー学会 理事
関西SOHOデジタルコンテンツ事業協同組合 理事
なぜ大多数の人たちは、マイケル・ポランニーを熟読せずして、「暗黙知」というコトバを平気で使うのだろうか?
私には不思議で仕方がない。
普通なら「量子力学」における「量子」の概念を知らずして、「量子」というコトバなんて使わないはずなんだけどなあ。
マイケル・ポランニーに関しては、原書は変なコトバ遣いのようなので、悪戦苦闘された翻訳者を参照したほうがわかりやすいと思います。
私についてご興味のある方は硝子張り公開→ http://www.sakimoto.biz/
mailto:sakimoto@tokeidai.net
(2003/12/23)

















