2006/8/26 土曜日

知識社会のトップマネジメント

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 3:09:12

ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』をパラパラと読み返していると、次のような記述がある。
→と、ここで先日のコラムに引き続き、またまたオーケストラネタだ(^^;
→ちなみにBGMはチェリビダッケ指揮@シュツットガルト放送響のブラームス交響曲第4番&第1楽章リハーサル(^^;

知識を基盤とする企業にもっとも似た組織がオーケストラである。そこでは三○種類もの楽器が同じ楽譜を使って、チームとして演奏する。偉大なソロを集めたオーケストラが最高のオーケストラではない。優れたメンバーが最高の演奏をするものが最高のオーケストラである。
オーケストラの立て直しを頼まれた指揮者は、あまりにだらしのない者や年をとりすぎた者しか交替させられない。新しいメンバーを大勢入れるわけにはいかない。引き継いだものを最高のものに変えなければならない。そこで優れた指揮者は、各演奏者、各パートとの接触を深める。雇用関係は与件であって、メンバーは変えられない。したがって、成果をあげられるのは指揮者の対人能力である。

また、ほかの箇所にも、

実は、書類仕事を減らすことのメリットは、人間関係に使う時間を増やすことにある。企業の幹部たる者は、大学の学部長やオーケストラの指揮者ならば当然のこととしていることを知らなければならない。優れた組織をつくりあげる鍵は、働き手の潜在能力を見つけ、それを伸ばすことに時間を使うことで ある。

と書かれている。

すなわち、ネクスト・ソサエティは知識社会なのであり、だとすればリーダーに一番求められることは、個々の組織のメンバーが持っている潜在能力が十分に発揮されるように、どれだけの時間を注き、メンバーの能力を伸ばしていけるのかということである。

リーダーがそれを実践していく姿のひとつとして「書類仕事を減らす」と指摘しているところが面白い。

いっそうのこと、パソコンも付け加えて「知識社会にふさわしいリーダーは書類仕事とパソコン業務に時間をかけない」と言ってしまったほうが、リーダー的存在には身に染みてわかりやすくなるかもしれない(^^;

ただ、指揮者とオーケストラをモデルにして説明する場合には、「楽譜」を共有していることが前提であることを忘れてはならない。

組織にあてはめると、これは基本理念やビジョンといったものだ。

ここで、オーケストラの指揮者から知識社会におけるリーダー像を学べると仮定して、その指揮者をチェリビダッケだとして、その特徴的な事柄を挙げてみると次のようになる。(参考にしたのはチェリビダッケによるミュンヘン・フィルとシュツットガルト放送響の多数のライブCDとブルックナー9番・ブラームス4番のリハーサル収録CDである。しかし、あくまでも私の独断と偏見による把握の仕方ではあるが)

  • ほぼ全てのコンサートで楽譜を暗譜して指揮している
  • リハーサルにかける時間が他の指揮者の数倍という練習量の多さ
  • 楽器のチューニングに毎回異常に時間をかけたり、常にまわりの音を聴くことに注意を喚起させることで、濁らない完璧なサウンドを目指している
  • 一度指摘した演奏上の問題点で、改善されていないことは、繰り返し根気強く指摘し続けている
  • たとえ本番の演奏中であっても、改善すべきことを発見し、それが身振りですぐに伝わらないことであれば、大声で注意したり、気合いを入れたりする
  • 良いところを褒めることを忘れない。ミスをする可能性がありそうで不安に思うメンバーの気持ちを先回りして、その対処法を示し、安心して取り組めるようにしている

と、ほかにもたくさんあるのだろうが、すぐに気づく点はこのようなところだ。

では、組織の基本理念やビジョンから完璧な作品ともいえる成果に導いていくのに、上記チェリビダッケの特徴を企業のリーダー像と重ね合わせてみよう。

◆「ほぼ全てのコンサートで楽譜を暗譜して指揮している」
組織の基本理念やビジョンについては、完全に頭の中に入っていて、それを個々の組織メンバーの具体的なアクションに落とし込めばどのようになるのか、その場その場で指摘と説明ができるレベルで把握できている

◆ 「リハーサルにかける時間が他の指揮者の数倍という練習量の多さ」
普段から研修を行ったり、個々のメンバーと時間を割いてコミュニケーションを交わす中で、基本理念やビジョンの浸透を促している。組織メンバーが基本理念やビジョンを暗記していたらよいのではなく、それに沿って自然と体が動くように時間をかけて導いていく。

◆ 「楽器のチューニングに毎回異常に時間をかけたり、常にまわりの音を聴くことに注意を喚起させることで、濁らない完璧なサウンドを目指している」
基本理念やビジョンに沿っていれば、メンバーは何をしてもよいというのではない。
それは組織として共鳴させた上でないと意味をなさない。
そのためにはメンバー相互の考えや行動から学んでいく仕組みと、そうしていこうというメンバーの姿勢を促していくことが必要。
また、組織として理念・ビジョンを共鳴しているがゆえに、組織的な戦略クラフティングが可能となる。

◆ 「一度指摘した演奏上の問題点で、改善されていないことは、繰り返し根気強く指摘し続けている」
企業においても文字どおりあてはまる。
指摘したことが組織の隅々に根付いていくには時間を要するし、根気も必要。

◆ 「たとえ本番の演奏中であっても、改善すべきことを発見し、それが身振りですぐに伝わらないことであれば、大声で注意したり、大声で気合いを入れたりする」
自分の体裁よりも作品の完成度優先。改善点の指摘は本番中であってもその場で行う。

◆「良いところを褒めることを忘れない。ミスをする可能性がありそうで不安に思うメンバーの気持ちを先回りして、その対処法を示し、安心して取り組めるようにしている」
数字の把握、行動の把握だけにとどまらず、個々のメンバーの心理まで読み取って指示している
さて、私は以上のようにチェリビダッケの振る舞いを読み取り、組織のリーダー像に無理矢理当てはめてみたわけだが、少しは参考になっただろうか?

なかなか難しそうだと思われただろうか?
そのように思われるだろうと書いたわけだが(^^;

ドラッカー自身もこれからの時代、トップの仕事はたいへんだと言っている。
でも、基本理念とビジョンを組織で活かしきれば、マネジメントは可能だとも言っているのだ。

今後のトップの仕事は、私が知りうるかぎりもっとも複雑な仕事、すなわちオペラの総監督の仕事に似たものとなる。スターがいる。命令はできない。共演の歌手が大勢いて、オーケストラがいる。裏方がいる。そして聴衆がいる。すべて異質の人たちである。しかし総監督には楽譜がある。みなが同じ楽譜をもっている。その楽譜を使い、最高の結果を出す。トップが取り組むべき仕事がこれである。

2006/8/24 木曜日

指揮者チェリビダッケの戦略クラフティング

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 21:18:05

先日、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーのブルックナー未完の交響曲となった第9番のライブCDを初めて聴いた時、演奏の素晴らしさに感動より先行して、ただただ驚きの気持ちでいっぱいになった。
今再び聴くと、今度は鳥肌が立ちっぱなしになった。
チェリビダッケは楽団員個々の実力と楽団としての徹底した練習によるアンサンブル力の高さがないと、すぐにボロが出てしまうことばかりさせているにもかかわらず、楽団員は細部に至るまで全く乱れることがない。
そして第3楽章も20分を過ぎると、感激のあまり涙があふれ出てきた。
(ちなみに聴いたのがブルックナーということもあって、感情的・感傷的になって涙が出たわけではない。純粋芸術としてのえもいわれぬ素晴らしさに涙したのであり、例えて言うと、名画を前にして涙するという感覚にも近く、普通に考えて本来涙するような曲とは思われていない。)
ブルックナー:交響曲第9番+リ チェリビダッケ、ミュンヘン・フィル / ブルックナー:交響曲第9番+リハーサル(2CD)

チェリビダッケの演奏は、古今東西のブルックナー9番のCDの中では突出して演奏時間の長いものとなっている。
この演奏がいかに長いものかということを他の指揮者と比べてみると、

第1楽章
22分26秒: E.ヴァン・ベイヌム/コンセルトヘボウo.
32分26秒:チェリビダッケ/ミュンヘンpo.
第2楽章
8分57秒:アーベントロート/ライプツィヒ放送響
13分47秒:チェリビダッケ/ミュンヘンpo.
第3楽章
20分3秒 :シューリヒト/ウィーンpo.
30分36秒:チェリビダッケ/ミュンヘンpo.
(「kuniのブルックナー交響曲第9番」参照)

という結果となり、チェリビダッケの「遅さ」は想定外ともいえるものとなっている。

チェリビダッケの9番を聴けば、ビジネス用語でいえば、「差別化」戦略でもあり、競合他社のとらない独特の「ポジショニング」をとっているという人があるかもしれない。
しかしこれはものの見方を完全に誤っている人の捉え方だと思うし、もしそうであったにしても、その発言自体は評論家としての発言とはなりえても、ビジネス上何の意味もなさない。
なぜなら、それはあくまでも「結果として」演奏されたものを組織の外部から表面的に見て「後追い的に」理屈付けしたにすぎないだけなのだから。

チェリビダッケには確固たる「森」を構築する表現理論とブルックナーへ演奏に向けられた解釈論がある。
言い方を変えれば、明確な「サイエンス」を持っている。

その実現のために、コンサートではいつも他の指揮者の数倍にもわたる練習時間が使われ、そこではむしろ「木」の一本一本へ視線が注がれる。
こちらは言い方を変えれば、演奏における「クラフト」(工芸)的側面である。

その結果、確かに超スローテンポな個性的演奏とはなってはいるが、チェリビダッケ自身のやっていることはといえば、特に奇をてらったような指示をしているわけでは決してないのだ。
例えば、ブルックナー特有のひとつひとつの複雑な和音の響きが味わえるようなテンポ設定にしたいがゆえに、他の指揮者からすれば途方もなく遅いテンポと「結果的に」なってしまったり、ティンパニーのような打楽器を「打つ」という性質よりも、そこから出てくる「音」の性質を重視したいから「結果的に」弱めの打楽器の音になったり、4拍子の4泊目は1・3拍目と比べると弱くなるとの小学校で習うリズム論を忠実に守りたいがゆえに、「結果的に」4拍目がふっと音が弱くなることがあったり、音符に忠実たらんとした「結果として」よく見受けられる演奏のように、金管楽器のフォルテシモにアクセントを付けた短めの音で吹かせるのではなく、いくら体力的にきつくともしっかりとテヌートで吹かせていたりしているだけなのである。

意識的に差別化をしようと全く思わなくても、9番を徹底的に研ぎ澄まされた演奏にしようという楽団と一体となった取り組みから、他には似たような演奏が想定すらできない全く異質な演奏ができあがっているのだ。

また、ポジショニングについても、もし意識していれば結果的にはポートフォリオした場合の四象限内からはみ出しかねないような極端といえる遅いテンポ設定の演奏を考えるわけがない。

繰り返しになるが、チェリビダッケのやっていることで私が気づいたことを書くと、

  • ひとつひとつの複雑な和音の響きが味わえるようなテンポ設定
  • 打楽器を大きな打撃音を出す楽器としてではなく、音程のある弦・管楽器と同じように扱う
  • 4拍子だと1・3泊目が強く、4泊目を弱く演奏するというリズム性
  • 楽器間の音量的バランスと音程に配慮するとともに、美しくハモらせるために、演奏にあたって絶えずまわりの楽器の音に徹底した注意を向けさせる
  • ひとつひとつの音符を正確に演奏させる

というふうに、このように書いてみると特別変わったことをやっているわけではないのだ。
(もちろん、たったこれだけの原則でやっているわけではないだろうが。)

すなわち、チェリビダッケの演奏は、「差別化」や「ポジショニング」という外面的な発想ではなく、「アート」的直観を重視しながらも「クラフト」(工芸制作)的なプロセスに焦点をおいて、細部を徹底的にこだわった結果なのである。
「サイエンス」的側面たるブルックナー解釈や指揮者独自の音楽理論は、必要とされるその瞬間に必要な事柄を的確に説明していかれるのであって、サイエンスを語ることが指揮をするということではない。
このことは、アルバムの付録として収録されているリハーサル録音と翻訳文を照らし合わせればうかがい知ることができる。

チェリビダッケは現場での「聴こえ方」に焦点を集中させている。
リハーサルで完璧に仕上がった状態においても、次のような言葉を楽団員に付け加えることを決して忘れないのだ。

ただ、聴衆がいると、少々具合が変わってくる。だから、私があなた方に言いたいのは、あなた方がすでに知っていることではなく、聴こえるものに反応してほしいということだ。これくらいのトレモロならどう聴こえるか、それを言える者はわれわれのうちには誰もいない。いいや、そんなことはわからないのだ。聴衆で埋まったホールにおいては、状況が変わる。そしてあなた方がこの練習において、さまざまな機能を認識したと証明した事柄こそが大事なのだ。ある箇所で、私はホルンの伴奏をし、それをヴィオラへとつなぐ。そういったことが知らねばならない何かなのだ。もしもあなた方がそういうぐあいに演奏するなら、響きが濁ってしまうことは絶対にない。(翻訳・許光俊)

楽団員をサイエンス的見地から得られたプランニングどおりにコントロールさせようとするのではなく、クラフト的にコンテキストに応じて即興的に対応できるように集中させようとする。
それができるようになるための時間がリハーサルのかなりの部分を占めることになる。
ある意味でこれは現場における「創発」を重視している姿勢といえるだろうし、「即興的交響」の方向に向いた姿勢ともいえる。

ここではチェリビダッケのブルックナー9番の演奏にクラフト的特徴に顕著であったために例として挙げたのであるが、実はこれはチェリビダッケに限らず、ほとんどの一流指揮者といわれている人達が多かれ少なかれ持っている特徴であろう。

さて、ここまでいくつかの聞き慣れない概念を使ってきているので、以下、説明していくことにする。

まずは「クラフト」という概念について、「戦略クラフティング」なる概念を編み出した経営学者ヘンリー・ミンツバーグは次のように説明している。

工芸の世界は、長年来の伝統技能、わが身の献身、ディテールへの精通によって、初めて完璧さが得られる。クラフティングについて我々の心に浮かんでくるイメージは、思考や理性ではなく、むしろ長い経験や没頭、手持ちの素材への愛着、バランス感覚といったものである。形成していくプロセスと実行するプロセスとが学習を通じて融合し、その結果、独創的な戦略へとだんだんと発展していく。
私の問題意識は至極明快である。戦略は工芸的に創作されるというイメージこそ、実効性の高い戦略が生まれてくるプロセスを言い表しているのではないかというものである。

ミンツバーグは陶芸家を「一人だけの組織」だとみなして、陶芸家を戦略家、粘土を戦略だとして語っているのだが、チェリビダッケの事例に当てはめると、指揮者が戦略家であり、楽団員の演奏が戦略ということになる。
私は、オーケストラという組織の中の指揮者たるチェリビダッケの事例のほうがわかりやすいように思える。

なぜなら陶芸家は個人の手によって粘土を「コントロールできすぎる」からであって、ミンツバーグの言いたいことは、一人で粘土をこねる陶芸家よりも、楽団員のほうがコントロールするのが難しいという理由により、チェリビダッケの事例で説明するほうがぴったりくると思えるからである。

人によれば指揮者も十分コントロールしすぎる存在であると思われるのかもしれないが(例えばドラッカーが組織論において説明に使ったオーケストラ)、もし指揮者によってコントロールしすぎる演奏が行われれば、少なくとも歴史的名演といわれるような演奏にはなりにくいのではなかろうか。
このオーケストラを事例にした組織論については、近いうちにコラムで書いてみようと考えている。
次に「創発」ということについても触れておかねばならない。
これを同じくミンツバーグの発言から引用すると、

知らず知らずのうちに生まれてくる戦略、あるいは何らかの意図があったにしても次第に形成されてくる戦略のことを「創発戦略」(emergent strategy)と呼んでいる。要するに、さまざまな行為が単純にパターンへと集約されるのだ。
創発される戦略の場合、むしろ学習が促される。すなわち、各々が一つひとつの行動を積み上げながら、その結果に反応していくうちに、だんだんとパターンが現れていくからである。

ということである。

チェリビダッケは楽団員が「パターン」をつかめるようになるよう徹底的にリハーサルに時間をかけている。
そして、響きが濁らないように、絶えずまわりの音を聴きながら、それに反応していくことを求めている。
ただし、チェリビダッケは明確な理論を持った上で楽団員に指示もしているわけであるので、純粋な創発戦略であるとはいえない。
それがまさにミンツバーグのいう「戦略クラフティング」の位置づけになるわけであって、それは次のようなことなのである。

純粋なプランニング戦略と純粋な創発的な戦略は一本の線上の両極にあり、したがってクラフティングは、この線上のどこかに位置することになる。いずれの極のどちらかに寄ることもあろうが、ほとんどの戦略はこの線上の中間に落ち着くことになる。

つまり、戦略クラフティングとは、サイエンス的なプランニング戦略「だけ」に走ることもなく、創発的に「だけ」なろうとするのでもなく、そのバランスがたいへん重要なカギとなる。
優れた工芸家やチェリビダッケのような指揮者は、そのバランス感覚においてすぐれている。

最後に「即興的交響」について触れておくと、これは最近になって登場した戦略論におけるひとつの仮説であるが、平たく言えば、指揮者だけではなく、各楽器の首席奏者も指揮者とよく似た権限と行動を持つことで戦略が形成されていくというひとつのモデルのことである。
これは経営学者河合忠彦氏の説明によれば、

トップは交響的行動を基本としつつ、必要に応じて、ミドルの即興的行動の追認を含む即興的行動をとらなくてはならない。またミドルも交響的行動を基本としつつ、必要に応じて即興的行動をとらなくてはならない。交響のテーマは、以上のようなトップとミドルによる即興的交響の結果として形成される。

というものである。

特徴的なのは、トップたる指揮者以外にミドルたる主席奏者のような存在を戦略形成のモデルに位置づけることにより、戦略形成のスピードと戦略内容における創造性とが期待できることであって、その分、指揮者の強いリーダーシップを必要としないという点である。

いずれにしても、即興的交響モデルも戦略クラフティングに含まれるモデルとして考えられていることに違いはない。

大体、このような議論が活発なのは、米国を中心としてMBA的マネジャーともいうべき戦略家が、現場のことを度外視して「絵に描いた餅」たるプランニングに専念してきたこと、それを戦略家の姿だと大きな勘違いがなされてきたこと、このことによる弊害が頻出しているからだった。

ちょっと冷静になって考えてみると、次のようなことは、すぐに気づいて然るべきであったのだ。

ある日は考え、別の日は仕事に専念するという工芸家はいない。工芸家の頭はその指とつながっている。にもかかわらず、大企業では頭脳と指の動きを分離しようとする。その結果、頭脳と指の間に不可欠なフィードバック・ループを断ち切ってしまう。

チェリビダッケの音楽を聴いていて私が学んだのは、いくら世の中「差別化」することばかり考える風潮があるからといって、そんなことにやっきにならなくとも、ある意味、課題に対して真正面からクソマジメ・徹底的に実践していこうとすれば、結果的に他社と較べると大きな「差別化」といわれるようなことができてしまうということなのであった。

そして、そのためにどうしても必要なキモとなるのが「戦略クラフティング」と呼ばれている、‘頭脳とその指とがつながっている’クラフト的側面重視のマネジメントなのであった。

参考文献
DIAMOND Harvard Business Review, 2003/1
河合忠彦『ダイナミック戦略論』

2006/5/13 土曜日

ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略2/2

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 9:20:22

そもそもリゾートホテルのような豪華でオシャレな雰囲気がいくら好きであったとしても、若い女性でいつも高級ホテルに泊まれるだけの経済的余裕を 持ってい る人達は例外的な存在であって、価格がこなれていながら高級な雰囲気を持っているホテルという切り口は、競争のない世界、すなわちW・チャン・キムのいう「ブルーオーシャン戦略」の 実践ともいえるのであった。

後追い的にフレームワークに当てはめることなんて大嫌いであり(笑)、このホテル自体ブルーオーシャン戦略なる本が出るはるか前に創業しているわけなのであるが、この戦略的考え方をご存知ない方のためにここで特別に事例として説明してあげよう。

ブルーオーシャンとは競争の激しい血みどろの戦いの海=レッド・オーシャンに対して、競争のない未開拓の市場を創造してそこでビジネスを生み出していこうとする戦略を指す。

ブルー・オーシャンを創造するには下記の「6つのパス(the six paths)」と呼ばれるものからアイデアを出していけばよい。

  1. (業界内ではなく)代替産業に学ぶ
  2. 業界内のほかの戦略グループから学ぶ
  3. 買い手グループを定義し直す
  4. (業界の枠組みを超えて)補完財や補完サービスを見渡す
  5. 機能志向と感性志向を切り替える
  6. トレンドの先行きを見通す

これら「6つのパス」から発想していってホテルモントレの方向を見いだそうとした場合には、それぞれ次のようになる。

  1. 日本人が憧れそうな西欧の建物に学ぶ
  2. 老舗ブランドではなくてもインパクトとサプライズからリピーターを獲得しているラブホテルの経営から学ぶ、または女性の憧れる高級リゾートホテルから学ぶ
  3. 男性サラリーマンではなく20代〜40代くらいの女性をターゲットとして、宿泊代が無理なく手が出る価格帯でありながら「オシャレでかわいい」と思えるホテル、あるいは比較的安価でありながら誘った女性に「オシャレでかわいい」との感想を持ってもらいたい男性。
  4. 建築デザイン、インテリアデザイン、アメニティと水回り
  5. 必要最小限の設備による宿泊代の安さといった機能志向から、建物・内装のデザインセンス、設備の魅力といった感性志向へ
  6. 思い出に残るような宿泊体験に価値を求めるニーズが高まるであろう

と、当たらずとも遠からずだと思えるように独断と偏見で決めてしまうことにする。

そして「戦略キャンバス」と呼ばれる、あるいくつかの切り口の業界平均をグラフ化したものに、これらホテルモントレの展開を反映させてみると次のようになる。

戦略キャンバス
「戦略キャンバス」とはこのようなものを指す。
(グラフでの評価がかなり失礼であったり事実に反するという思う方がいらっしゃるかもしれないが、ここで言いたいのはこのグラフの真実性ではなく、「戦略キャンバス」がいかなるものか説明したいだけである。)

グラフ化すると一目瞭然となることがある。

それはホテルモントレが業界平均のグラフとは大きく異なった特徴を示していることである。

「部屋の広さ」や「エントランスとロビーの広さ」などはビジネスホテルのような低い値を示しているが、「建物外観のデザイン性」では高級シティホテ ルを追い抜き、「個性的な内装による楽しさや意外性」となるとホテルモントレ以外では評価することさえ不能な尺度となっている。

通常のホテルであれば、ホテルモントレ以外のどちらかのグラフ付近での競争となるが、ホテルモントレだけは競争のない独自路線を開拓していくということになる。

このような独自路線を築いていく戦略のことを「ブルー・オーシャン戦略」と呼ばれているのである。

ところでブルー・オーシャン戦略を創造するのに欠かせない考え方がもうひとつある。

それは「アクション・マトリクス(action matrix)と呼ばれるものだ。

この事例でアクション・マトリクスを示すと次のようになる。

アクション・マトリクス

付加価値を求めるあまりよくありがちなのは、次から次へとコストをかけてしまい、結果的に戦略キャンバスの「高級シティホテル」のグラフに限りなく近くなってしまうことである。

確かに付加価値をつけていけばビジネスホテルのグラフから離れていくことにはなるが、今度は高級シティホテルでの熾烈な競争が待っているのである。

従ってただやみくもに付加価値をつけようとするのとは違い、アクション・マトリクスにみられるように「取り除く」と「減らす」という部分によってメリハリをつけて特徴をわかりやすくすることがブルー・オーシャン戦略ではたいへん重要となってくるのだ。

この点があるからこそ、高級シティホテルには存在しない「個性的な内装による楽しさや意外性」といった特徴を持っているにもかかわらず、価格競争に巻き込まれることのない独自市場での顧客開拓が可能となる。
書籍では優れた戦略について次のように書かれている。

優れたブルー・オーシャン戦略の価値曲線には、(1)メリハリ、(2)高い独自性、(3)訴求力のあるキャッチフレーズ、という三つの特徴がある。 こうした特徴に欠けた戦略は、月並みでパンチが弱く、伝えにくいうえ、高コストである。新しい価値曲線を描くために四つのアクションをとり、右記三つの特徴を備えた戦略プロフィールを実現すべきである。これらの特徴を備えているかどうかが、ブルー・オーシャン構想が商業ベースで成り立つかどうかを推し量る、最初の判断基準となる。

ここではホテルモントレ銀座に一度宿泊した経験だけから、ブルー・オーシャン戦略に強引に当てはめてみて後追い的な説明をしてみた。

が、20年のうちにホテルを15箇所にまで増やしてきていることからすれば、このような展開が当たって業績を上げていっているのだろうと予想しうる。

この企業の歴史をふりかえると、1936年神戸で開業した繊維製品卸小売業「丸糸呉服店」に行き着く。
1948年には質屋業を始め、こちらが発展していって現在のアコムとなっている。
一方、金融とは違った流れとしては不動産賃貸業を中核としてマルイト・グループとして発展していき、そちらが現在のホテル事業にまでなってきている。

本来であれば不動産賃貸業から普通に発想してホテル事業に取り組もうとすれば、低価格ビジネスホテルチェーン展開となりそうなものの、ひと味違った個性的なホテル展開となっており、「このような発想はそのようにして導かれたのだろうか?」と、どうしてもひっかかってしまい、ついにはこのようなコラムを書いている次第である。
現在であれば後追い的にはブルー・オーシャン戦略で説明できなくもないが、本当のところはどうなのだろうか?
いつか直接インタビューでもする機会がない限り、真相はずっと闇の中のままなのかもしれない。

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ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略1/2

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 9:19:07

5月8日の東京出張の際に宿泊したホテルモントレ銀座のことについて忘れてしまわないうちにメモしておくことにする。

創業から20年にして現在全国15箇所に施設を持つまでに成長し、いずれも個性的な西欧風の建物であるこのホテルグループのことが気になっていたので、この機会に宿泊してみることにした。

泊まったのはホテルモントレ銀座で有楽町駅から銀座柳通りをまっすぐ数分歩いたところにフランスのアパルトマンをイメージされたこの小洒落た外観を持つホテルがあった。

ホテルモントレ銀座外観

モントレグループのホテルは全て西欧のどこかの国の建物をイメージされたコンセプトで作られるので、一般的なビジネスホテルとは明らかに一線を画した雰囲気を持っている。

これは建物内部や客室にまで一貫していて、旅が非日常的な体験であるとするならば、その演出をすることに大いに貢献してくれるともいえる。

例えばエレベータの階数表示も針が動いて数字を指し示すようなものとなっていて、そこにうっすらと聞こえてくるBGMはフランスの古い音楽であったりする。

客室はツインの角部屋でデラックスツインとの扱いだったため一般的な客室よりは少し広めのところに宿泊することとなった。(おそらく25平米くらい)
通常のシングルルームとなるとかなり狭いらしいので、そんなことはあとでわかったのであるがラッキーであった。

ホテルモントレ客室1

ホテルモントレ客室2

写真のように客室内も壁の色や窓の形、家具デザインなど、ひと味違った雰囲気を持っている。

しかもデザインが西欧風といったことだけにとどまらず、以下の写真のように注目すべきところがある。

バスルーム

まず浴槽が前日泊まったホテルニューオータニとほぼ大きさが同じで、一般的なビジネスホテルにはない広さであるから、十分に足を伸ばして入ることができる。
ちなみに浴槽の材質はプラスチックではなくて陶器でできており、まわりもタイル貼りなので高級感がある。

となりの化粧室部分も大きく高級感がある。
その化粧室に置かれているアメニティも、ビジネスホテルとは思えないほどの充実ぶりで見た目の色合いもきれいな感じがする。
とりわけ女性にはウケがよいことだろう。
アメニティ

ひとつひとつをよく見ると決して高級なものではないのだが、見るからにかわいらしく洗練されている。

そのほか、西欧風のイメージを壊しかねない浴衣は用意されておらず、その代わりにパジャマとバスローブが置かれている。
ビジネスホテルには普通はバスローブまで用意されていることはないのでは?

バスローブとパジャマ

あと、写真ではわかりにくいのであるが、床はこげ茶色のフローリングとなっているので、それだけでも一般的なホテルとは随分雰囲気が違って感じる。

ホテル内の飲食店としてはフランス料理店があり、個室が用意されていたりランチとディナーのコース料理が楽しめたりと、こういったところまで徹底してフランス風をとおしている。

もちろんインターネット環境も全室用意されている。

なかなか他のホテルではないスタイルだ。

このとても気になるホテルについて私なりに考えてみることにした。

まず普段ビジネスホテルに宿泊する女性客層に対してリゾートホテルのコンセプトを取り入れたホテルの雰囲気を味わってもらえるようにする。
まあ簡単にいえば女性が「まあ、かわいくてオシャレなホテル!」と喜んでくれることを目指すということだ。

格好をつけた言い方(失礼!)をホテルモントレグループの記述から引用すると、

■ホテルモントレグループの信条
ホテルモントレは1986年の開業以来各地に個性豊かなホテルを展開して参りました。建物のコンセプトは、世界各地の歴史や風土を元に数々のヒントを得てデザインし、有名な都市景観賞など数多くの賞をいただいております。また、インテリアもアメニティー性を重んじ、常にやすらぎの空間作りに心がけ、ロマンチシズムや、夢のある雰囲気が、他のホテルにないモントレスタイルだと言われております。そして、常に心地よい、ゆったりとしたひとときを楽しんでいただけるよう真心のこもったサービスを心がけ、お泊りいただいたお客様はもとより、宴会などに、ご利用いただいた皆様からも好評を得るべく努力しております。 私達は、ホテルを通じて生活の喜びと潤いのあるサービスを提供し、地域社会に貢献出来ることをモットーに進んで参ります。

となる。

しかしリゾートホテル並のクオリティを追求してビジネスホテル並の価格(8,000円〜18,000円くらいまで)で提供すれば採算が取れないので、内装や装備は表向きには豪華に見えるように振る舞いながら、中身は徹底的にコストダウンをはかっているのだ。
ルームサービスを充実させるわけにもいかないので、そちらも省略。

豪華な異質空間との演出に貢献するもの:フローリングの床、バスローブ、浴槽の大きさ、アメニティのかわいらしさと種類の多さ、家具、絵、暖かみのある自然色の壁の色、窓の形・・・

演出する中で工夫次第で安く上がるもの: フローリングの床、バスローブ、アメニティのかわいらしさと種類の多さ、家具、絵、暖かみのある自然色の壁の色、窓の形・・・

と、センスと工夫でコスト的にはかなり絞っていける余地が実は大いにあるわけである。

余談ではあるが、センスと工夫の余地ということでいえば、ホテルのWEBサイトもFlashを多用してそれなりの雰囲気を演出していこうとされていることがうかがえる。
http://www.hotelmonterey.co.jp/

考えてみれば、ラブホテルを経営するつもりになるのであれば、建物や客室についていかに豪華で魅力的なものにしようかと知恵を絞りながらも、コストがかさまないようにする工夫の余地はないだろうかとなるはず。

この発想をビジネスホテルの分野でフル活用すれば、このホテルのようなものになるのだろう。

では一般的なビジネスホテルがなぜこのような面白味のあるものとはならないのだろうか?

それは未だに

ビジネスホテル→安さが求められる→安物ワンルーム賃貸マンションの発想でホテルを建てる→バスルールはあるだけで十分でしょ→アメニティなど「カット」できそうなところは全てカット→要はいかにコストカットするか「だけ」を徹底的に考えていく

ということにしかならないからだろう。

そのようなニーズも確かに存在はするが、これでは宿泊料の安さだけの激しい競争に巻き込まれることにしかならず、あとになって慌ててそれではダメだと気づいていかにも貧乏くさい付加サービスを始めてみたところで、客側には全く魅力的に映らないがゆえに大した効果も見込めず、その結果、「激安」と「貧乏くさい付加サービス」とを繰り返し続ける無限ループに陥ってしまったりするのである。

そもそもリゾートホテルのような豪華でオシャレな雰囲気がいくら好きであったとしても、若い女性でいつも高級ホテルに泊まれるだけの経済的余裕を 持ってい る人達は例外的な存在であって、価格がこなれていながら高級な雰囲気を持っているホテルという切り口は、競争のない世界、すなわちW・チャン・キムのいう「ブルーオーシャン戦略」の実践ともいえるものなのであった。

「ホテルモントレのブルー・オーシャン戦略2/2」に続く

2005/6/1 水曜日

オーケストラのサウンドを変えてしまうということは?(戦略と戦術の違い)

Filed under: 経営戦略 — 咲本 @ 9:40:47

今、ズービン・メータ指揮、ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団のサン・サーンス交響曲第3番「オルガン付」を聴きながらコラムを書いている。
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」
指揮: メータ(ズービン)、演奏: ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

米国には、世界的に超一流といえる素晴らしいオーケストラがいくつも存在する。
しかし、ロサンゼルス・フィルと他のオーケストラの違いを言うと、シカゴ交響楽団のような通常の楽団の数倍もの音量でまとめ上げてしまえるようなパワフルさは全く存在しないし、ニューヨーク・フィルのようにパワフルさは全然ないけれど、渋いサウンドということもなく、フィラデルフィア管弦楽団のような華やかさもないし、ボストン交響楽団のように個々のスキルが高い上に、ポップス演奏までを一流のサウンドで聴かせるような器用さもない。
一言で言うと、悪い意味での米国的脳天気さ(下品といってよいかもしれない)を強く感じさせるサウンドである。
音色が明るめで、「音の芯」が希薄な音色であるから、このような印象を抱いてしまうのであろう。

これは、企業に当てはめると、社長を変えることで「企業風土」や「企業文化」が急に変わるのかという議論と関係するかもしれない。
(この議論については、そんな簡単には変わらないと考えるが、今回のコラムでは結論は述べない。)

指揮者がレコーディングを馴染みのないオーケストラで行い、曲の解釈については指揮者の意向が色濃く反映されていても、オーケストラのサウンドが根本的に変わってしまうようなことは、まずありえない。
というか、オーケストラの団員が頑固であるためなのか、事例として皆無である。

でも、実はオーケストラのサウンドを指揮者は変えることができるのである!!

では、世界初かもしれない発言を以下に書いてしまおう。

なぜ、個々に特徴を持つオーケストラのサウンドそのものを変えることができるというのか?
それは、ロサンゼルス・フィルの場合には、現状のサウンドで演奏することは、大きなマイナスなのであり、サウンドを変更するような指導を専任音楽監督たる指揮者が、意識して具体的に指示していくことが必要となる。

国内オーケストラの中で、超一流と思われていないオーケストラ全般について、なぜ超一流と思われるサウンドに変更できないかについての明確な理由がある。

それは、音楽監督に就任してそのオーケストラを育てていかないといけない指揮者達が、「戦略」と「戦術」の意味における違いを全く理解してこなかったことが、最大の理由である。

個人的に定義付けさせていただければ、「戦術」とは日常における行動方針のようなもので、オーケストラにおいては、個々の旋律の演奏についての解釈を伝えていくような作業を指す。
実は、コンサートに至る準備は、ほぼこの作業だけで終わっているのが現状なのである。

何を言いたいか?
上述の状況では、戦略がゼロなのである。
戦略とは、3年後にはこれだけの利益を出したいなどの目標(ビジョン)と、戦術や日常業務との間を橋渡しするものであり、どのように目標を実現するのかについて、ミッション、事業コンセプト、事業ドメイン、ターゲット顧客、マーケティングミックスなどの点から明確にしていくべく考えた結果を指す。

これは日産がカルロス・ゴーンを社長として招いても、小さなデザイン変更だけで新機種だと誤魔化すような戦術を行っていれば、日産の復活は絶対になかったわけであり、繰り返すと「組織におけるビジョン、ミッション、事業コンセプト、事業ドメイン、ターゲット顧客、マーケティングミックス」という点に具体的に行動ができるようなメスを入れていったことが、企業変革に繋がったわけなのであろう。

これを、まるで一時的にレコーディングするための指揮者のような指示をゴーンがやっていたなら、今日の日産の姿はあり得なかった。
すなわち、戦術に走るのではなく、戦略を深く理解してもらうところに主な力を入れつつ、それを各現場担当者に落とし込んだ場合、どのような実践となるのかまでを明示していったところが画期的であったのだろう。

何度も繰り返すが、「戦術」とは日常的行動規範のようなものである。

サウンドを変えるのは、演奏方法の指示よりも、一階層高い「層」についての指示となる。
指揮者が「戦略」と「戦術」の違い、様々な「層」が上下に拡がっており、それを認識した上で、目的の層について的確に語り続けること。
これができれば、既存の指揮者が演奏における解釈の指示だけでなく、サウンド自体の指示による変更が可能となる。
「演奏の解釈」の上層に「サウンド構築」というものがあるのだから、「層」が違うと認識していない以上、サウンドを変えることはできない。
勿論そのためには、演奏のビジョンや基本コンセプトを語り、それに最適なサウンド像を理解してもらうように語り続けることが前提となるわけであるが。

こんな話は、ちょっとした戦略論の話となるかと思っている。
コヤマン、こんな感じで戦略にまつわる話として成り立つかなあ。
(2005/06/01)

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